ジニー・ウィリアムズ・スピラー「ゴルフ界に自分の居場所は~」

「ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけである」

今ではタイガーウッズが国民的英雄として迎えられているが、
長い間、ゴルフの世界にも過酷な人種差別が続いてきた。

史上初めて黒人選手としてマスターズに出場したリー・エルダーや
全米オープンの優勝者として出場枠を手にしたカルビンピートに対して、
森の中からライフルで狙うとの脅迫状が送られて来たのは、
ほんの20年ほど前のことである。

彼以前の黒人選手たちは出場できる試合などほとんどなく、
プロゴルフ協会(PGA)は、その規約において
「白人のみ、コーカサス人種のみ」と定め、黒人を締め出していた。

これに対し黒人達は、全米黒人協会を作り、
黒人専用の私的なゴルフコースでプレイをしていた。

1930年代までの黒人ゴルファーは約5万人で、
彼らのために国内に約20のコースがあったと伝えられている。

1950年代になってPGAの規約が改正され
出場できる試合が少しであるが見られるようになったが、
黒人への差別は続いていた。

伝説の黒人プロ「ジニー・ウィリアムズ・スピラー」は、
1937年、ロスアンゼルス・オープンに出場するため会場へ行ったところ、
彼の顔を見た関係者から「白人選手に限る」と冷笑された。

「ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけである」
ということを知らされる。なんとも悲しい話である。

1949年、黒人だけのトーナメントが開催され、
ジニーはその2日間、「66」「68」のスコアで見事優勝する。
以後5年間で、超難関コースで開催されるこの試合で、
彼は常に60台のスコアで優勝し続け、驚異的な成績を残した。

こんなジニーであっても、コースの管理人以外の職にはつけなかったのだ。

1994年になり、彼は孤独のうちに老人ホームの一室でその生涯を閉じる。

ゴルフは公平なゲームであることを根底としているはずなのに、
そこに関わる人間の醜さがあまりにも悲しい。